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人の死と共感性 ~祖母の急逝に寄せて~

物心つく前の祖父の死以降、初めて長い付き合いの親族が亡くなる経験をしたので、備忘録もかねて吐き出させていただきます。身近に起きた孤独死の実態と、共感性の高い人間が人の死をどう受け止めるか?というテーマで文章を書いてみました。


母方の祖母が亡くなった。
死因や死亡日時は諸事情でまだ私の耳には入っていない。自宅で亡くなっていたそうだ。祖母は遠方に一人暮らしで、祖父はすでに逝去している。祖母が自宅で冷たくなっているのを、訪れた近所の人が発見して通報したそうだ。誰にも看取られず、ひとりで亡くなった祖母。これを昨今よく聞く孤独死というのだろうか。

祖母には娘が二人いる。私の母と、その姉だ。
母の姉(以下、伯母さん)は、祖母の家と同じ県内に住んでいて、たまに祖母の様子を見に行ってくれていた。祖母には持病があって、発作を起こしたり、拗らせて入院したりしていた。2年くらい前だったか、伯母さんから祖母が入院したと聞いて、母が当時就いていた仕事を休んで帰省した。それが私の記憶ではおそらく最後の、母と祖母の対面だったと思う。

遠方でなかなか会えない分、電話での連絡はよく取っていた。祖母から掛かってくることもあったし、母が掛けることもよくあった。
今月の始め、母の誕生日があった。母だけでなく孫である私の誕生日にも電話をくれるマメな祖母は、もちろんその日も母に電話をくれた。いつものようにたわいない話をして、お祝いの言葉を言ってもらえたのか、母はとても嬉しそうな声音だった。そして電話が終わった。これが本当に最後の会話になってしまった。
数日前、私の弟の誕生日があった。祖母からの電話はなかった。電話がないことが不思議だったが、忘れただけかもしれないと追求はしなかった。ここで祖母宅に電話をしていたら、何か変わっていたのだろうか。そして翌日の夜、祖母の訃報が入った。電話がなかったことに合点がいった。

私はただただ愕然とした。数週間前に、元気に電話していたばかりなのに。祖母は北のほうに住んでいるから、寒さに体が耐えられなかったのか?それとも持病の発作が出たのか?はたまた急性の別の病気なのか?何であれ、信じられなかった。
まさか自分の祖母が孤独死するなんて思わなかった。だって、祖母にはまだ二人の娘という家族がいるのだ。一人暮らしはしていても、近所や親戚との付き合いはあるし、娘のうちの一人はたまに家を訪れていて、もう一人とは頻繁に電話での連絡を取っていた。にもかかわらず、孤独死を防ぐことができなかった。
病院に運ばれて危篤の電話が来たわけでも、伯母さんから祖母の体調が芳しくないなどの連絡があったわけでも、電話口の祖母の声に元気がないなどの予兆があったわけでもなく、ほんとうに唐突な死だった。だから、孤独死という結果になってしまった。誰も予想しない最期だった。

祖母の死を告げる電話を受けたときの母は、しきりに頬を叩いていた。困惑と動揺のあまり、現実か夢かわからなくなってしまったんだろう。現実だと思いたくなかったのかもしれない。でも残酷なことに、祖母の死は現実だった。
母は、電話に出てすぐ驚いたように、ええ?と悲鳴のような声をあげたあと、ほとんど言葉を口にしなかったので、それを見ていただけの私には何の電話かまだ分からなかった。ただ、異様な雰囲気だけは察していた。電話が終わり、何の電話だった?と恐る恐る尋ねた父へ、祖母が死んだと告げたあと、母は泣いた。母の泣き顔を見るのは、私の人生でもトップ3に入るほど嫌な日だった10年前の母と父方の祖母(姑)との喧嘩以来だったので、あの日のことが思い出されて胃が痛くなった。

私は、今となっては祖母と会う機会がほぼなくなっていたが、それこそまだ祖父が生きていた幼少期には毎年の夏休みに遊びに行っていた。祖父は私が幼稚園か、小学校低学年くらいのときに亡くなった。祖父もまた、自宅ではないが、既に亡くなった状態で発見された。母は祖父も祖母も看取れなかったことになる。そんな母の気持ちを思うと、私までどうしようもなくつらくなる。

祖母が亡くなって悲しい思いはもちろんある。
しかし、その悲しみよりも、両親とも失った母の心境を思うと胸が張り裂けそうになって、そっちのほうがつらいと感じてしまう。自分の思いよりも、母のことを考えて涙が出てくる。祖母の訃報を受けたときの母のショックの大きさや、死の瞬間に立ち会えず孤独死させてしまった罪悪感、弟の誕生日に電話がなかったことを追求しなかった後悔、いろんな感情が押し寄せて泣いてしまった母の姿を思い浮かべては、私も涙が止まらなくなる。
そしてもちろん、祖母も亡くなる間際に母と伯母さんの顔を思い浮かべただろうし、発作を起こしていたのなら苦しい中でひとり感じたであろう寂しさや不安を思ってさらにつらい。祖母はベッドのそばに倒れていた?らしい。祖母のベッドは居間の隣の部屋にあって、その寝室から居間に入るとすぐ電話がある。寝たきりではなかったから昼寝をしていたのか、もしくはその日は体調が思わしくなかったのか、寝ていた状態から発作が起きて、電話をしようとしたが力尽きてしまったのか、など考えてしまって、祖母の悲しい最期を思って泣いてしまう。余計な想像ばかりしてしまう自分の思考回路が憎いとこれほど思ったことはない。

私は昔から共感性が高くて、他人の悲しい話や感動する話を聞いて泣くし、ドラマやアニメを見ても泣くし、人に叱られた時は悲しいとか怖いとかではなく相手を失望させてしまったことが情けなくて泣いた。怒られたり、褒められたり、とにかく人が自分を思ってかけてくれる言葉に対して、自分の感情よりも、人の思いを想像して心が揺さぶられることがよくあった。だから今回も、自分が感じた悲しみよりも、母の悲しみのほうを重く受け止めてしまって、つらくなっている。物事が二重にのし掛かってくる、厄介な性質だと思う。
それから、余談ではあるが就活の面接などで自分のことを話そうとすると、こんな大したことない話を聞いて相手もつまらないだろう、上手く話せなくて恥ずかしい、こんなことに時間を割かせて申し訳ないとか考えてしまって面接中に泣いたこともある。とんだメンヘラ就活生である。あの号泣面接は自分でもドン引いたし黒歴史だ。とはいえ普段の精神状態は良好で、情緒不安定でもない。むしろ他人に比べてストレスは少ないほうだと思っているし、楽観的であまり深刻に物事を考えていない。悩みもないし、楽しい日々を送っている。普通の人よりちょっと、他人の感情に敏感なだけだ。

母はいま、祖母の家へ帰っている。私は自宅に留守番をして、家事やペットの世話を任されているから、詳しいことはまだ聞けていない。祖母の孤独死に関して、母が少しでも気持ちを落ち着けられるような事実があれば良いが。そうすればきっと、私も少しは楽になれるのだろう。